哲学を取り入れた国語授業

哲学を取り入れた国語授業

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今回のニュースレターにも載せましたが、当教室の中高生に最も人気が高いのが「哲学」の授業です。
授業といっても、いくつかの命題について先生と対話しながらモンモンと考え、論理的な構成でそれをお題に文章を書くだけなのですが、とにかく目からウロコだったり、視野が広がったり、考え方に一つの指針をつくることができたりするようです。

浪人中の男の子。ある怪奇小説を読解問題として読み込み中に
「先生、分かったで。ニーチェの『畜群』やな。それがめっちゃ変で非合理的な行動もみんな同じように右に倣えでし始めることの恐怖、しかも、抵抗しても巻き込まれる怖さ、そういうことやろ」と言いました。
彼の読んでいた話は、タンスの上に座るという奇行を家族みんながし始めて、ただ一人抵抗していた男も同じ行動をするよう追い込まれるという不思議な小説。彼は医学部志望の理系さんなので、そこまで国語力が必要なわけではないのですが、今の時期は教養を付けるべくいろいろな読書に励んでいます。
たまたま、今、ニーチェを読んでいたのですね。

もう一人の高校2年の男の子も、
「この間見かけた小学生がね『せんせーにゆーたろーっ!』って友達に注意してたんよ。それを見て、おお、まさにリヴァイアサン、強大な権力による支配、だと思ったよ」
「300年たっても、ホッブズの解決法を使ってるのね。人間って意外と進歩がないね(笑)」
長く教室に通っているのもあり、最近は「哲学入門」というギリシア哲学から現代のポスト構造主義まで網羅した名哲学書の抜粋を読んで、哲学的問いに応えています。彼の先週の課題はホッブズの考え以外の戦争を抑える原理はないか考えることでした。

これらは国語ではない? いえいえ、哲学はその流行が研究手法を変えてしまうくらいの影響力があります。読解力、教養を深め難しい概念を読み解けるようになりたい若者にとって、これほどショートカットで力を身に付けさせるものはないでしょう。
読解力は、ある事象の中から別の真理を見つけ出すことでもあります。実際、書いてあることを咀嚼していく力が、哲学で鍛えられています。日常にも、読書にも、社会生活の中にも、冷静に分析する力を身に付けています。